ブルシット・ジョブ 読書の中間報告

まだ全部読んでないの?とか言われそうです。

まだ全部読んでません。

三章まで読みました。読んでいて、ああアメリカでも同じなんだな、と。

外国、とくにアメリカなんて効率の塊みたいなイメージでした。日本の外資系は実力主義だとか言われて、きっと仕事のための仕事、仕事もどき、仕事してる振りをするための意味のない仕事なんて、ないんだと思っていましたが、日本(特に大企業)と同じように、クソつまらない無意味仕事があるようです。

無意味仕事ができるまで、時間の概念の変化から考察からスタートしてます。

確かに、社畜という言葉が生まれる前から「働く」ということに関し、「自分の時間を売って金を貰う」とか、「給料は苦痛に耐える対価」とか、自分の自由(時間)を売り渡す、という概念が存在していたように思います。

どうしてそうなったかはさておき、「働く」=「奴隷になる」というイメージが強いのではないでしょうか。奴隷になった覚えはないんですけどね。いわゆるパワハラとかセクハラとか、昔からある人を人と思わない所業は、ある意味上司連中が、部下、あるいは新入社員を奴隷として扱っている証左ではないかと感じます。

初対面の人間に「おいお前」とか、言われる筋合いないですが、上司と部下の関係だといきなり「お前」呼ばわりされることがあります。

路上で知らない人に言ったら殴られても文句言えないと思いますが。

さて、そういった、上位の立場(雇用主だったり、上司だったり)にある人間は、特にやることがなく暇そうにしている人間を見ると、そいつを働かせるために無意味な仕事(整頓されたファイルの再整理だとか、今特に必要のないマニュアルの作成とか、取引先のデータのまとめとか)を作る、もしくは中間管理職に作らせ、働かせます。

この「働く」という言葉がよくありません。

かつて、今とは違う会社で働いていた時、『「働く」という字は、「人が動く」と書くだろ?誰かが動いたら、誰かが楽にならないといけない。誰も楽にならないなら、働いたことにならない。』と言われたのを思い出します。

働くことで誰かが楽にならない仕事(どーでもいい、特に必要のない役務)は、やらなくても何も問題がなく、それを分かっていてやらされる仕事は、穴を掘って埋め戻すことをやらされてるのと同じことでしょう。

「働け働け」と言われますが、それ意味あるの?と反論します。すると上司から嫌な顔をされます。まあ当然ですけど。でも私にとって、会社にとっても、やる意味のない仕事をやらされるくらいならぼーっとしてるほうが楽です。

仕事をしているふりをするための仕事に邁進し、俺はこれだけ頑張ってるという人がいますが、そのまとめたデータいつ使うの?と言いたくなります。実際その人の上司は、その人の机の上のファイルを「使わないんだから意味ないよ」と切り捨ててました。

それでも彼はデータをまとめます。仕事をしているふりをするために。

本人は仕事を頑張っているのでしょう。でも、そのデータは誰も楽にはしません。

だって誰も必要としていないから。だから、彼は仕事をしていても、働いたことにはならないのです。

「最近の新人はすぐそれ意味あるんですか?と言ってくる」と、何年か前の記事で読んだ記憶があります。昔からこういうやり方をしているんだからと、思考停止してブルシット・ジョブを続けてきた先人もまた、働いてこなかったんでしょう。

だから彼らの「頑張った武勇伝」は支持を得られないのでしょう。

だって働いてないんだもの。

何か少し話が逸れました。

他人を満足させるために働いているのではなく、自分のために働くのだから、仲間からの感謝であったり、働いた手ごたえだったり、満足のいく給料だったりは欲しいところです。かつてラジオ番組で、「人間関係、金、やりがい、この三つの内、二つが欠けると会社を辞める」という話を聞きました。ライフ、という番組だったと記憶してます。

ブルシット・ジョブではやりがいはありません。とすれば人間関係と金が良くないとその仕事を割り振られた人は辞めてしまうわけです。

大企業でブルシット・ジョブが残り続けるのも頷けますね。金は間違いなくいいでしょうから。私は昇進試験を断ったせいで薄給のままです。

金もやりがいもないのに居座り続けているのは、そうしないと生きていけないように感じているからです。ああ、なんてひどい。

死んでもいいとは思いますが、死にたいわけではないので。

また逸れました。

牛の糞のような仕事の話は、これからどうなるか。続きを読んでいきます。